等身大の懐かしさ

2018年10月31日 08:00

ちょっと前にクラシックカーの定義について改めて考えた事がありました。一つの見解として日本クラシックカー協会が主催するイベントでは1975 年までに生産された車両およびその同型車(マイナーチェンジを含む、エンジンも同型車)に限り、1979 年までに生産された車両となっています。

1919 Rolls-Royce Silver Ghost
ヴィンテージカー 1919年式 ロールスロイス シルバーゴースト

またそれ以降でもメルセデスでは約20年から30年前に発売された車をヤングクラシックと呼び、それらちょっと古いけど現役で走っている車の為にリフレッシュプログラムを始めました。
(参考:メルセデスベンツ「ヤング・クラシック」リフレッシュプログラム

クラシックカーといった呼び方以外にヘリテイジカーやビンテージカー、ヒストリックカー、ベテランカー、ノスタルジックかーなどもありますね。ちゃんと定義があるものから愛称に近いものまで様々。

日本では1975年までがクラシックカーって事にすると・・・
クラシックカーの定義を日本クラシックカー協会の唱える1975年までとすると団塊ジュニア世代の私から見ればそのほとんどが生まれる前の車になります。そこに懐かしさを感じているのではなく、ほとんどの場合は「こんな車もあったんだ!」と逆に新鮮さを感じていたんですよね。

TOYOTA Publica

別に古いから好きではなく、価値や希少性でもなく、もちろんノスタルジーを感じていたわけでもなく、ただただ新鮮で素敵な車を知る事が楽しかった訳です。団塊ジュニア世代の父親、いわゆる団塊世代や先輩方とは決定的に違うのはココにあります。

やっと懐かしいと感じるクルマがクラシックに片足を突っ込んできた!?
まだまだ流石にクラシックと呼ぶには躊躇しますが、少なくとも旧車の域に入ってきた90年代の車。このシャリオは1991年から1997年まで販売されていました。最終型でも20年以上前の車です。初期型ならもうすぐ30年!

リゾートランナー

私がクラシックカーのイベントに行くようになったのが90年代後半。その頃集まっていたクラシックとされる車達はそんなに古くなかったんですよね。私がシャリオを見て懐かしいと思うように、その頃の参加者は若い頃に親しんだ車を見て当時の思い出を重ねていた事でしょう。

1990-1993 NISSAN SUNNY 1.8GT-S B13

クラシックカーイベントで懐かしいと感じるか、新鮮だと感じるかの違いって目には見えませんが大きな違い。どっちが良い悪いでもないのですが、懐かしいと思える車がイベントに増えてくる=やっと先輩方と同じような感覚が味わえると思えば感慨深いな。

Jr

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贅沢な遊び

2018年07月13日 10:38

48PRODUCTでも昨年オリジナルのサイクルジャージを製作しました。受注販売とさせていただきましたが、全国の至る所であのジャージがどんな景色に溶け込んでいるのか・・・それを想像すると嬉しくなったりします。枚数がある程度揃えばオリジナルジャージを製作するのはさほど難しい事ではなくなりました。そんな背景もあり、また新たなサイクリングジャージを製作しました。

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夏のとあるローカルイベントに参加するためだけに製作したオリジナルジャージです。上下濃紺で意味のあるワードをプリントしただけのションプルなもの。イベント後もデイリーライドで気兼ねなく着られるようにね。

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目立つグラフィックを入れなくても、統一したソックスのイエローの効果も相まってそれなりのインパクトは出たんじゃないでしょうか?

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チームと言うとちょっと片意地張りすぎな気がしたので、BRIGADE(旅団)と名付け夏のツーリングイベントを楽しみたいと思っています。

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サイクリングキットが出来上がって最初の週末。早起きをしてまだ空いている東京の街を舞台に知り合いのプロフォトグラファーに頼んで写真を撮影してもらいました。

r299upside.jpg
ありがとう! All Photo by Eigo Shimojo

この無駄に贅沢な遊び。どこまでいっても自己満足の世界です。最初からそこに意味なんて求めてはいません。楽しそうだからやってみよう・・・それだけです。でも本気で真剣に遊んでいるからこそ、アウトプットできる事ってあると思うんですよね。それが何かはわかりませんけど・・・きっとハウスインナー®にはそんなエッセンスが注がれているんだと思います。

Jr

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オートバイのあるシーン

2017年08月31日 08:00

Jr的オートバイの楽しみ方ってカスタムとショートツーリングだと思ってたんですけどね、先日都内のとあるイベントに会社から通勤しているカブで向かった帰りに思い出しちゃったんですよ。

xs650
第三京浜 保土ヶ谷PA

イベントで刺激的な体験をして、それについてワイワイと語り合い、次につながるちょっと曖昧だけど、本当に実現したい約束をして、皆と別れカブに乗る。さっきまでの喧騒が嘘のように交通量が少なくなった都心を、ひとり自宅に向けてアクセルをワイドオープンする・・・イベントでの高揚感をまだ引きずりながら。

今はさくらモーニングクルーズみたいな朝のミーティングも増えていますが、ちょっと前までは第三京浜や大黒へ夜に集まるのが普通でした。オートバイでカスタムやツーリングを楽しんだのは事実なのですが、夜遊びの道具として、そんなシーンにいつも傍らにいた存在なんだと思い出したわけです。あまりに日常的な部分で見落としていました。

YAMAHA XS650 Special
1st MOONEYES MOTORCYCLE SWAP MEET

だから大型ツアラーではなく、スーパースポーツでもない、日常の延長のように普段着でさらっと乗っても決まるオーソドックスなオートバイが好きだったんだろな。そんなわけで急にXSやヘビーウェイトなフライホイールを仕込んだSRに乗りたくなりました。素直にそんな感覚が嬉しいです。

Jr

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ミニミニなホビーライフの始まり

2016年02月04日 08:00

はじめまして、昨年末の記事に名前だけは登場していた「カタギリ」です。紹介していただいたとおり、48HQのマスコットであったミニを譲り受けて乗っています。

車検に出して修理もしてもらい、しばらく離れていたミニが先日戻り、「おかえりなさい」という気持ちで、家まで乗って帰りました。元気になって帰って来てくれるのは、嬉しいですね。おかげさまで、軽快に走ってくれるようになりました!

久しぶりでしたが、最初に乗った頃に比べれば幾分か運転には慣れてきました。が、まだまだミニからダメ出しが返ってくるような場面も時々あります…。ミニに先導してもらいながらですが、元ペーパードライバーの小さなホビーライフが始まりました

mini_giri.jpg

そんな私ですが、実は2年ほど前からもうひとつ「ミニ」に乗っています。ミニベロ(小径車)です。

「一人暮らしの狭いワンルームに入れてもジャマにならなくて、ちゃんと走れて楽しい。」

こんな条件で、小径車を選びました。学生時代3度にわたり自転車を盗まれている私にとって、安全圏の室内に置いておけることはマストでした(笑)

街中を気軽に気持ちよく走れて、ちょっとした買い物に出かけることもなんだか楽しくなります。晴れた日の日曜日は、タンブラーにコーヒーを入れて公園などにミニベロを走らせます。ささやかですが、そんなミニベロ生活を楽しんでいます。

minivero_giri.jpg

いつかはミニ×ミニベロのミニ6WHEEL LIFEをさくらモーニングクルーズでご披露・・・なんてことも妄想しています。まだまだ走り始めたばかりの若輩者ですが、これからどうぞよろしくお願い致します!

カタギリ


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ジムニーSJ30と心の棘

2015年08月28日 18:01

懐かしい写真が届いた
SJ ジムニー 開発

元・鈴木自動車工業の研究所で働いていた同僚から思いがけない写真が届いた。軽い目眩を覚えた。それは、今、48のショールームにあるSJ30のスズキデザインチームの写真だった。その同僚は僕のところに1981年製の同型式ジムニーがあるなんで勿論知らない。その友はそこに映っているデザイナーの懐かしい写真を見つけて送ってくれたのだった。そこには1年先輩のOさんと主任のSさん、そして僕と入れ違いに入った二人のデザイナーだった。手塩にかけて育てたデビュー直前のジムニーと4人の誇らしげな姿があった。4人の名前と1970年の終わり・・・簡単なメモが添えられたメールだった。Oさんはその後10年ほどして急性くも膜下出血でこの世を去ることになる。

軽い目眩を覚えたのはいくつかの因縁があるからだ。

話はつい1ヶ月前のこと・・・僕の田舎は越後の長岡で冬は雪深いところだ。急逝した長岡の姉の家を預かることとなり、足の確保のためにジムニーを探していた。たまたまオースティンヒリーのエンジン調整で尊敬するH師匠の工場に行っていた時のこと。「良かったら2サイクルのジムニーがあるけど乗ってみますか?」是非も無いお誘い。ガレージに行くと、何とそこには赤いボディーのSJ-30。この時ばかりはH師の説明も上の空。
「あー、Oさんが東京研究所から戻り初めてエクステリアの主任を努めた自慢のSJだ・・・」
H師匠も同行したMGTFのMさんもピンと来ていないようだった。巡り合わせのように当然息子と共有にガレージに収まった。

suzuki jimny garage

この頃はちょっと胸が重苦しい思い出がある。1973年(Jrが生まれる年)Oさんと僕ともう一人同期入社の若手デザイナー3人で、意気揚々と浜松から横浜にあった研究所に転勤した。明日の鈴木の飯のタネを生み出すデザインをするためだった。浜松では大部屋生活をしていたが、研究所では三菱、ヤンマー、ホンダ、コマツとサクセスしてきた所長の肝入りで、3人が占有する治外法権のようなデザインとモデルルームを与えられた。研究者に混じり負けじと生意気なデザイナー振りを発揮していたのだろうと、今も赤面する事がある・・・が、O さんも僕も研究所で多くのことを教わった。

suzukire.jpg

しかし、この時代は鈴木にとって受難の時代。米国のマスキー法をクリアすべく、鈴木はエピックエンジンを開発。急に株価が上がったが大した効果がないことが伝わると株価は急落。代わって宿敵ホンダが希薄燃焼システムのCVCCエンジンを搭載したシビックが登場。鈴木の同僚も購入する始末。「2サイクルはもう駄目だ!」この時からバイクもクルマもこぞって4サイクルエンジンの開発に資源と集中投資することになるのだった。何とロータリエンジンにも活路を求めていた。それはRE50というロータリーバイクを500台生産しアメリカに輸出された。この話はまた別の機会に書いてみたい。

Suzuki Fronte

そんなことがあって金食い虫の研究所は一旦閉鎖。まだ今、健在の名物社長"修さん"前の実次郎さんの時代だ。僕らは、行きは意気揚々,帰りは意気消沈。3人して肩を落として浜松に戻る。デザイン課のみんなは、「やー実力のある若手が戻ってきてくれて助かったよ!」と温かく迎えてくれる。そんな中、僕はとりあえず鈴木の船外機のフラッグシップをまとめる仕事。同期の仲間はジェンマの前身のデザイン。そして写真に納まったOさんはSJの基本計画チームに入る。そうこうしているうちに、事態はのっぴきならない状態になる。排ガス対策を乗り切るために、急遽ダイハツから期限付きながらフロンテに搭載するエンジンを購入することになるのだ。

SUZUKI JIMNY

ある日社員全員が食堂に集合せよとの放送。行くと社長が壇上に立ち、エンジン購入についてのいきさつを沈痛な表情で説明する。声がうわずって「この屈辱を忘れず頑張ろう」との檄があった。それから間もなく僕は鈴木を退職し東京の販売促進の会社に、今で言うところのヘッドハンティングされることになる。給料は何と鈴木の倍額。妻とJrともう一人の息子を養うに十分な額だった。デザイン課のみんなは「頑張れる奴から行けば良いよ」と快く送り出してくれた。もちろんOさんと同期のMくんも。僕はちょっと重い気持ちを清算しきれずに浜松を発つことになる。

それから間もなく、一新された「SJ30」を社外の人間として見ることになる。「Oさんのジムニーができたんだ!」と重苦しい気持ちが少し楽になった。その時は数年してOさんに最後の別れ告げに浜松に行くなんて夢にも思っていなかった。

そして、3日前に届いた研究所の同僚からの懐かしい写真。もうひとつ記憶の扉が開いた。研究所で3人とも高いデザインの洋書を定期購読し始めた。スタイルオートというイタリアのデザイン誌だ。決して回し読みなどしない。これがデザイナーとしての矜持だ。この雑誌はやがてカースタイリングの発刊に繋がるのだ。そこにイギリスのランドローバのデザインレポートがあった。僕のOさんもこんな骨太の仕事をしたいと語った。SJ30はそんなOさんの見事な仕事振りを証明してくれるロングライフなグッドデザインだと思う。鈴木自動車工業からスズキに代わっても、鈴木魂は引き継がれている。僕が携わったオフロードバイクのハスラーが4輪になったとしてもね(笑)

SJ30のデザイナーOさんと、実車を最高の状態で預かってくれたH師匠と、そして写真を届け、あの頃のちょっと後悔の念に駆られた大切な思い出を蘇らせてくれたTさんに感謝!

1981 SUZUKI JIMNY

ブルーバード411SSにも忘れられない思い出と因縁がある。そんなクルマたちがごく自然にガレージにやってくる。いつかまたそんな想いを書いてみたい。

48の父


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