ミニミニなホビーライフの始まり

2016年02月04日 08:00

はじめまして、昨年末の記事に名前だけは登場していた「カタギリ」です。紹介していただいたとおり、48HQのマスコットであったミニを譲り受けて乗っています。

車検に出して修理もしてもらい、しばらく離れていたミニが先日戻り、「おかえりなさい」という気持ちで、家まで乗って帰りました。元気になって帰って来てくれるのは、嬉しいですね。おかげさまで、軽快に走ってくれるようになりました!

久しぶりでしたが、最初に乗った頃に比べれば幾分か運転には慣れてきました。が、まだまだミニからダメ出しが返ってくるような場面も時々あります…。ミニに先導してもらいながらですが、元ペーパードライバーの小さなホビーライフが始まりました

mini_giri.jpg

そんな私ですが、実は2年ほど前からもうひとつ「ミニ」に乗っています。ミニベロ(小径車)です。

「一人暮らしの狭いワンルームに入れてもジャマにならなくて、ちゃんと走れて楽しい。」

こんな条件で、小径車を選びました。学生時代3度にわたり自転車を盗まれている私にとって、安全圏の室内に置いておけることはマストでした(笑)

街中を気軽に気持ちよく走れて、ちょっとした買い物に出かけることもなんだか楽しくなります。晴れた日の日曜日は、タンブラーにコーヒーを入れて公園などにミニベロを走らせます。ささやかですが、そんなミニベロ生活を楽しんでいます。

minivero_giri.jpg

いつかはミニ×ミニベロのミニ6WHEEL LIFEをさくらモーニングクルーズでご披露・・・なんてことも妄想しています。まだまだ走り始めたばかりの若輩者ですが、これからどうぞよろしくお願い致します!

カタギリ


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ジムニーSJ30と心の棘

2015年08月28日 18:01

懐かしい写真が届いた
SJ ジムニー 開発

元・鈴木自動車工業の研究所で働いていた同僚から思いがけない写真が届いた。軽い目眩を覚えた。それは、今、48のショールームにあるSJ30のスズキデザインチームの写真だった。その同僚は僕のところに1981年製の同型式ジムニーがあるなんで勿論知らない。その友はそこに映っているデザイナーの懐かしい写真を見つけて送ってくれたのだった。そこには1年先輩のOさんと主任のSさん、そして僕と入れ違いに入った二人のデザイナーだった。手塩にかけて育てたデビュー直前のジムニーと4人の誇らしげな姿があった。4人の名前と1970年の終わり・・・簡単なメモが添えられたメールだった。Oさんはその後10年ほどして急性くも膜下出血でこの世を去ることになる。

軽い目眩を覚えたのはいくつかの因縁があるからだ。

話はつい1ヶ月前のこと・・・僕の田舎は越後の長岡で冬は雪深いところだ。急逝した長岡の姉の家を預かることとなり、足の確保のためにジムニーを探していた。たまたまオースティンヒリーのエンジン調整で尊敬するH師匠の工場に行っていた時のこと。「良かったら2サイクルのジムニーがあるけど乗ってみますか?」是非も無いお誘い。ガレージに行くと、何とそこには赤いボディーのSJ-30。この時ばかりはH師の説明も上の空。
「あー、Oさんが東京研究所から戻り初めてエクステリアの主任を努めた自慢のSJだ・・・」
H師匠も同行したMGTFのMさんもピンと来ていないようだった。巡り合わせのように当然息子と共有にガレージに収まった。

suzuki jimny garage

この頃はちょっと胸が重苦しい思い出がある。1973年(Jrが生まれる年)Oさんと僕ともう一人同期入社の若手デザイナー3人で、意気揚々と浜松から横浜にあった研究所に転勤した。明日の鈴木の飯のタネを生み出すデザインをするためだった。浜松では大部屋生活をしていたが、研究所では三菱、ヤンマー、ホンダ、コマツとサクセスしてきた所長の肝入りで、3人が占有する治外法権のようなデザインとモデルルームを与えられた。研究者に混じり負けじと生意気なデザイナー振りを発揮していたのだろうと、今も赤面する事がある・・・が、O さんも僕も研究所で多くのことを教わった。

suzukire.jpg

しかし、この時代は鈴木にとって受難の時代。米国のマスキー法をクリアすべく、鈴木はエピックエンジンを開発。急に株価が上がったが大した効果がないことが伝わると株価は急落。代わって宿敵ホンダが希薄燃焼システムのCVCCエンジンを搭載したシビックが登場。鈴木の同僚も購入する始末。「2サイクルはもう駄目だ!」この時からバイクもクルマもこぞって4サイクルエンジンの開発に資源と集中投資することになるのだった。何とロータリエンジンにも活路を求めていた。それはRE50というロータリーバイクを500台生産しアメリカに輸出された。この話はまた別の機会に書いてみたい。

Suzuki Fronte

そんなことがあって金食い虫の研究所は一旦閉鎖。まだ今、健在の名物社長"修さん"前の実次郎さんの時代だ。僕らは、行きは意気揚々,帰りは意気消沈。3人して肩を落として浜松に戻る。デザイン課のみんなは、「やー実力のある若手が戻ってきてくれて助かったよ!」と温かく迎えてくれる。そんな中、僕はとりあえず鈴木の船外機のフラッグシップをまとめる仕事。同期の仲間はジェンマの前身のデザイン。そして写真に納まったOさんはSJの基本計画チームに入る。そうこうしているうちに、事態はのっぴきならない状態になる。排ガス対策を乗り切るために、急遽ダイハツから期限付きながらフロンテに搭載するエンジンを購入することになるのだ。

SUZUKI JIMNY

ある日社員全員が食堂に集合せよとの放送。行くと社長が壇上に立ち、エンジン購入についてのいきさつを沈痛な表情で説明する。声がうわずって「この屈辱を忘れず頑張ろう」との檄があった。それから間もなく僕は鈴木を退職し東京の販売促進の会社に、今で言うところのヘッドハンティングされることになる。給料は何と鈴木の倍額。妻とJrともう一人の息子を養うに十分な額だった。デザイン課のみんなは「頑張れる奴から行けば良いよ」と快く送り出してくれた。もちろんOさんと同期のMくんも。僕はちょっと重い気持ちを清算しきれずに浜松を発つことになる。

それから間もなく、一新された「SJ30」を社外の人間として見ることになる。「Oさんのジムニーができたんだ!」と重苦しい気持ちが少し楽になった。その時は数年してOさんに最後の別れ告げに浜松に行くなんて夢にも思っていなかった。

そして、3日前に届いた研究所の同僚からの懐かしい写真。もうひとつ記憶の扉が開いた。研究所で3人とも高いデザインの洋書を定期購読し始めた。スタイルオートというイタリアのデザイン誌だ。決して回し読みなどしない。これがデザイナーとしての矜持だ。この雑誌はやがてカースタイリングの発刊に繋がるのだ。そこにイギリスのランドローバのデザインレポートがあった。僕のOさんもこんな骨太の仕事をしたいと語った。SJ30はそんなOさんの見事な仕事振りを証明してくれるロングライフなグッドデザインだと思う。鈴木自動車工業からスズキに代わっても、鈴木魂は引き継がれている。僕が携わったオフロードバイクのハスラーが4輪になったとしてもね(笑)

SJ30のデザイナーOさんと、実車を最高の状態で預かってくれたH師匠と、そして写真を届け、あの頃のちょっと後悔の念に駆られた大切な思い出を蘇らせてくれたTさんに感謝!

1981 SUZUKI JIMNY

ブルーバード411SSにも忘れられない思い出と因縁がある。そんなクルマたちがごく自然にガレージにやってくる。いつかまたそんな想いを書いてみたい。

48の父


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はじめてのアメリカ車

2015年02月10日 08:00

地元の企画で昭和の写真を募集しているとの事で昔の写真アルバムを引っ張り出しました。引越の時からロフトに上げっぱなしだったので少なくとも7年以上開いてなかったのかな。このblogをはじめた頃に書いたプロフィール的記事でも過去所有のクルマ(デジカメ以前だから1998年以前かな)に付いては同型車種の拾い物写真でごまかしていましたからね。そんな訳で昔乗っていたエルカミーノ写真をiPhoneで撮影してきました。

1985 CHEVROLET El Camino
エルカミーノ

これがはじめてちゃんと購入したクルマ。'85年式のエルカミーノです。それ以前は職場環境を活かしてもう解体行きみたいなクルマを乗り継いでいたので。はじめてのアメリカ旅行で時差ぼけもなんのそのバスの車窓からアメリカのハイウェイを走るクルマを眺めていました。そこで強い印象に残ったのがセダン型のピックアップ。もちろん雑誌などではエルカミーノを知っていましたが実車の佇まいにやられてしまいました。まさか数年後に日本でそれに乗っているとは想像もしなかったけど。

エルカミーノ

まだ社会人3年生くらいかな?オートバイやスノーボード、バンドにサッカーなどいろいろ忙しくて洋服にもお金かかるしね。だからエルカミーノは相場の最低限で購入しました。もう納車の時から調子が悪くてよくプラグがかぶって帰れなくなったなぁ・・・。仕方なく砂利の月極駐車場でヘッドを降ろしました。リジットラックで少し上げているだけなので1本ものの長いマフラーを逃がすのが大変だった記憶があります。この時にガレージがあったらな。この記憶が現ガレージにリフトを入れる事になった原動力かも。

エアコンが壊れてていつも着替えをたくさん持って出掛けた事やオートバイを積んでカリフォルニアな気分を味わったり、憧れのベンチシートに彼女と並んで座ったり・・・いろいろ思い出しますねぇ。ちなみに1948フリートラインが我が家にやって来るのはこの少し後なんです。

これを機にネガフィルムをデジタル化してみようかなと思いました。100年プリントなんてCMやってましたけどやっぱり色褪せてきますからね。そこでスキャナーを購入するか、それとも業者に頼むか?フィルム1本300円〜なんてのもあるようで、手間を考えてもお願いしちゃった方が良さそうだと思いますが・・・経験ある方いらっしゃいますか?

Jr


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らしいクルマの選び方

2015年01月29日 08:00

気味が悪いおっさんの自分語りなのでスルー推奨です(苦笑)

それぞれのドリームカーって記事を書いてから改めて自分の好きなクルマって、基準って何だろうな?なんて事を考えています。いろいろな価値観の所でもちょっと触れましたが、不人気なクルマや正当な評価を受けていないクルマに対する特別な感情がある事に気が付きました。

cultusconv.jpg

過去に乗っていたカルタス・コンバーチブルもそんな基準で選んだクルマでした。初代ロードスター(ユーノス)だって同じくらいの価格で選べたし、運転が楽しい事も知っていたし好きなのに、ついカルタス・コンバーチブルを選んでしまう・・・それは何故ですかね。

chevycoupe71.jpg

アメリカ車のマッスルカー的ピークは1969年まで(ギリギリ'70年)でひと区切りになると思っていますが、私はオイルショックや安全基準強化で牙を抜かれた直後(1971年以降)のクーペがやけにカッコ良く見えます。
その理由は映画の影響も大きいのかもしれません。ムービースターのところで書いていますが70年代前半のアメリカンクーペは車種、メーカー問わず映画にも良く出て来ますが、乗っているのは社会的に成功を収めているとは言えないまだ何者でもない男のクルマなんですよね。たまたま手に入れた古いクーペを下駄にして転がしている風情に憧れを抱いた訳です。

zakured.jpg

これ20年振りくらいに製作したガンプラです。ただ素組みして墨入れしただけですが最近のプラモデルはよく出来ています。この機体はご存知シャア専用ザクですが、次はオレ専用ザクを作ってみたいとずっと思っています。自分がジオン軍の隊長クラスになったとしたらどんな専用機が欲しいか・・・痛い話しですいません(笑)でもこんな事考えた事ってありませんか?

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ケニー・ロバーツが大好きな事もあって手に入れたXS650もUSインターカラーのダートラ仕様にはしないでこんな風にカスタムしたのもきっとそこなんだよな。様々なクルマやオートバイ、メーカーやビルダーにレーサー、ブランドをリスペクトする気持ちはあるし、まつわる伝説やストーリーは大好きなんだけど。実際に手を入れたクルマやオートバイはオレ専用○○じゃないとね。

そんなJr憧れのクルマは・・・

toyocrowncoupe.jpg

憧れって言われるとナローのPORSCHEとかあるのですが、もっと現実的に今いいなって思うクルマで考えましょう。そのまま70年代前半アメリカンクーペと言いたい所ですが、日本で乗ると途端に下駄にして転がしている風情が出ません。そんな観点から考えるとクラウンの2ドア・ハードトップなんて私のツボです。不人気とかさっき言ってた事を考えるとクジラのクーペも考えられますが、ちょっと顔が好きじゃないので。シンプルでクリーンな初代2ドアハードトップがいい。外観はやれてていいから内装は黒のレザーで張り替えて、機関はバッチリにして下駄の如く転がしたいなぁ。実際下駄のように振る舞うには水面を優雅に進む白鳥のように水面下では努力が必要なのは言わずもがな。

結局自分のキャラクターがあって、日本に住んでいて、そこでどんな生活をしているか、どうやって使うか・・・それらを全部ひっくるめてカッコイイクルマの要素が決まるって所かな。クラシックカーを共有財産として一時預かる・・・そんな考え方に共感を覚えリスペクトしながら、まだまだ若輩者のワタクシはこんな感覚でクルマを見ています。

Jr


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黄色いビートルとデジタルカメラ

2014年02月25日 08:00

20世紀の終わりの頃に Jr が乗っていたのがこのビートル。1972年式で自分の一個上。憧れの生まれ年は少し外してしまいましたが、雑誌の個人売買で近所の人が出していたので即決しました。



サイドステップやバンパー、内装など欠品しているのは、前のオーナーがレストア中に投げ出しちゃったから。面倒なボディーはキレイにしてあったから後はコツコツ・・・なんて思っていたけど、オートバイカスタムに忙しかったのでこっちは結局手つかずに。



一度は所有してみたかったビートルでしたが、あまり熱中する事なくビートル好きの友人に譲る事に。この後、結婚したりしてタイミングもあまり良くなかったんですよね。



あまり遠出をした記憶はないのだけれど・・・面白いエピソードが。筑波山ではNEWビートルの隣に停めてロープウェーへ。帰りのロープウェーで居合わせたカップルが「隣に古いのが停まってるよー」とどうやらNEWのオーナーみたい。「やっぱり新しい方がかわいいよねぇー」なんて言ってってね。まぁ、黙っていても良かったんだけど「俺は古い方が好きだけどなぁー」なんて聞こえるように返してその場を凍りつかせました。(細かいニュアンスは忘れたけどこんな感じ)こんな所は大キライだと妻は申しております(苦笑)

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デジタル写真のデータに撮影したカメラのデータも入ってましてね。このビートルを撮影したのはCASIO QV8000SXってデジタルカメラみたい。30万画素でCASIOが民生用のデジタルカメラを出してから数年で200万画素時代になっていましたが、このカメラは一世代前のスペックで130万画素。しかし回転レンズと8倍ズームって飛び道具的な個性に惹かれて購入したのでした。

フィルムカメラ時代からデジタルカメラに移行するにあたり、まだまだ画質は望めないのであれば、デジタルにしかない個性を求めました。それが回転レンズだったんですよね。あとマクロ撮影もそうだったな。カメラとの付き合い方が一気に変わる予感にワクワクしました。バランスよりも個性。あばたもえくぼ的なチョイスがやっぱり好きなようです。

こんな事を繰り返すことによって自分のセンスって磨かれていくのかもしれません。それが必ずしもセンスが良いってことでは決してありませんけどね(苦笑)ネットで簡単にレビューが見つけられて"コスパ"を追い求めるような事を繰り返していたら一体どうなってしまうのだろう?

断捨離なんて言葉が流行ってます。イメージ的にシンプルでなんだか今っぽい生き方のような感じがします。しかしモノに縛られる覚悟・・・いや、モノと徹底的に向き合う生き方だって、それはそれでカッコイイじゃないですか。クラシックカーが好きの人はみんなそんな人ばかりですよね?

Jr


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