英国車の遺産証明所取得方法

2014年06月06日 11:51

ちょっと前になりますが、&さんのA35に掲げられていた証明書について書いたのを覚えていますか?「つづく」と書いておきながら随分と経ってしまいましたね。

今回、その血統を調べられてしまうのはこのヒーレー100です。どうやらオリジナルらしい・・・と言われておりますが、実際はどうなのか?その出自が暴かれます。ドキドキ・・・。

healey100twoseater.jpg

この遺産証明所の入手って終わってしまえば本当に簡単なのですが、英語が不自由な挙げ句、その証明書の種類もいくつかあるし、どこまで記入していいのかもよくわからなくて躊躇していたんですよ。まぁ、とにかくやってみたら届いたのでその顛末をレポートします。

まず英国のヘリテイジモーターセンターのサイト内ショップからBMIHT Heritage Certificates & Archive Servicesへジャンプ。いっぱい種類があるのですが、とりあえずノーマルの「Heritage Certificate」を選びました。すると下の画像のような入力欄が出てきます。

heritagecertificate.jpg

どこまで記入しなければダメなのかわからないのですが、付きの所を記入すれば後は登録されている番号が出て来るんじゃないの?って事にして入力を進めました。

quote01.jpg

カーナンバーについてはエンジンルーム内のコーションプレートで確認できたのでこれを入力。このコーションプレートの上にもうひとつ簡素な刻印プレートが張ってあったのでボディーナンバーだと判断してこれも記入。は付いてなかったのですが、入力できる物は入力しようと思いまして。

quote2.jpg

エンジンナンバーについてはブロックに刻印してあったこの番号を入力します。「1b222 o54M」で合ってるのか?と不安になりながら・・・。
悩んだのはカーナンバーのコーションプレートにエンジンナンバーとも書かれているので、ブロックの刻印とどっちが優先なのかがわからなかった事。写真送って確認すればいいのですが、ここはえいやぇーで(苦笑)

そして待つ事1ヶ月半・・・忘れた頃に自宅に一通の封筒が届きました。

donotbend.jpg

Please do not bendさすがにこれくらいは理解できます(笑)厚紙を台紙に「Heritage Certificate」が届きました。英国の自転車文化センターの職員さんにこちらの気持は伝わったのでしょうか?

britishmotorheritage.jpg

届きましたよ。想像していた通りでひと安心。(木製フレームは別に購入しました)記録を見てみるとほぼオリジナルなんじゃないかと思います。ボディーナンバーは入力ミスで「5211 7821」と書いてしまったのですが、実際は「5211 7828」で、この証明書にも「7828」と書いてあったので出荷時と同じっぽいです。

quote2.jpg

残念ながらエンジンナンバーはマッチングしていませんでした。「1b222o54M」(よく見ると"o"は"6"か"8"だったかな)と読めるこの記号を入力しましたが、証明書には「1b/223929」と記載されています。エンジンは交換されているって事なのか?ヒーリー100にはMパッケージなる個体が640台生産されたとWikipediaに書いてありますが、このエンジンに換装したのか?そうだとすると90hp(67kW)から110hp(82 kW)のハイパワーユニットが搭載されている事になりますね。マッチングしてない事よりもレア?なハイパワーパッケージを喜ぶべきでしょうか。

キーナンバーは未確認ですが、それ以外のボディーカラーや内装の色など装備はそのまま。1955年2月10日って誕生日もわかったし、正式車両名がAUSTIN-HEALEY 100 TWO-SEATERってこともわかりました。54年式って書いてるけど55年だったんですね。

たかが紙一枚にプリントアウトされた記録・証明ですが、このたかが一枚がどれだけの事を想像させて、よりクルマへの愛着が湧くか・・・クルマ好き・・・いやモノ好きにはご理解頂けると思います。

1003000.jpg

現在の英国はF1をはじめスポーツカーのファクトリーとしては一番の国。でも一般車はどうか?資本は別にしても生産は英国で続けている超高級車の生産は続いていますが生産台数はたいしたことがありません。最近ではホンダや日産が生産量を増やして台数に貢献しているようですけどね。
しかし、生産量では英国なんて歯が立たないくらいビッグになった日本が、こと自動車文化の成熟度に置いては英国には歯が立たない現状もあるんじゃないでしょうか。古いクルマは道楽(贅沢品)で環境に悪いし経済にも貢献しないから税金たくさんとっちゃおうって感じでしょ?たくさん作る国が一番偉いんだったら隣の大国にその座を奪われる日も近い訳で、いろんな意味で成熟した大人になりたいもんですね。

Jr


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スターターモーター交換

2013年08月12日 08:00

そんな こんなでガレージにやってきたヒーリー100。いきなりの雨天高速ドライブも余裕のトルクで走る姿はなかなか頼もしい感じでした。カニメやセブンと違い、ゆったりと流せる大人のオープンカー風情が心地よい。

1954 Austin Healey 100

前オーナー曰く機関はほぼオリジナルで問題はないとの事。それはこのドライブで間違いない事がわかりました。しかし、オーナーが変われば使い方も環境も変わり、クルマとオーナーが馴染んで行くにはそれなりに時間も手間もかかるのは承知の上。トラブルまではいかない些細な事を含めてチューニングしていくのも楽しみのひとつ。

a100ster.jpg

乗りながら、気になる所を潰して行けばいいのですが、その乗りながらをストレスなくできるようにスターターを交換しました。1954年式のヒーリー100はピニオン摺動式のスターターモーターが搭載されています。この方式ですととにかく力がない。スタータースイッチを入れても「ぐうう・・うう・・・う・・・」って感じ。キャブ調整がしっかりしていたので、これでもエンジン始動はできたのですが、一度暖まってしまうとかかりにくい症状がでました。これでは、安心して出掛けることができないと判断してスターターを交換する事に。

Starter Motor

これが取り外した純正のスターターです。大きいでしょ?これだけ大きなモーターですからもちろん重たいです。エンジンルームから引き抜くのに気を使いました。

Starter Motors

左側が新しいスターターモーター(MOSS Gear Reduction Starter)です。こいつはリダクション式といって一般的に現在使われている方式。モーターの回転を減速してトルクを増やしているので小型軽量化ができます。基本的には車種に合わせたスペーサーが付属しているのでボルトオンですが説明書は英語だし、配線もちょっといじらないといけないので自信のない人はお店に頼んだ方がいいでしょうね。それと書き忘れましたが、基本的にはマイナスアース車だったりするので、そこも注意が必要です。

a100ster1.jpg

配線方法など英語の説明書に苦戦しつつも理解はできたので、ひとりで問題なく作業する事はできましたが、必要なカプラーをはじめとする材料の入手などサンデーメカニックにとっては大変なんですよ。

a100ster2.jpg

それに電気配線って結構性格とかセンスが出る部分だったりします。ただ接続するのと、キレイにまとめるのは大きな差があるんですよね。そこで今回は同じ自動車整備学校の先輩さいばー氏に手伝ってもらいました。仲間の間では、「さいばークオリティー」と呼ばれる氏のコダワリは電気配線に対しても造詣が深く、自信のセブンを見てもその仕事ぶりが伺えます。

a100ster3.jpg

ハーネスの新規製作と加工をサイバー氏にお願いして、私がスターター本体の交換や車両側配線の取り外しや取り付けを行う見事な連携プレーで作業は進みました。

a100ster6.jpg

さいばークオリティーに仕上げるためには、妥協は許されません。スターター本体の配線だけでなく、スタータースイッチまでの室内配線も引きなおしました。また、今回は関係ないフォグのだらしない配線も見逃しません。結局は電動ドリルまで持ち出してフォグリレーの取付け位置を変えプラス端子を引きなおしました。

a100ster5.jpg

無事にスターター本体を取り付け配線を接続。上を向いたB端子にかぶせるゴムキャップがなかったのでそこはビニールテープで応急処置的にカバー。イグニッションをオンにして・・・緊張の一瞬。「ギュルーンっ!」と力強く、軽快なモーターサウンドと共にエンジンはいとも簡単に始動してくれました。

1954 Austin Healey 100

これでドライバー(48の父)も不安なくでかけられるでしょう。オリジナルのスターターをオーバーホールするやり方もあるのでしょうが、現在の技術で解決できる素晴らしい方法があれば変更しても構わないと私は思っています。これが走行したときのフィーリングに関わる問題なら慎重になっても当然だと思いますけどね。次はダイナモをオルタネーター化か?走りながら見極めたいと思います。

最後に・・・さいばーさんありがとう!オイル交換の約束忘れてませんよー。

Jr


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ハローヒーリー100 (2/2)

2013年08月08日 08:00

前回のつづき

クルマ探し
それでも欲しいのはオープン2座席。衰えてきた闘争精神でも“走っている感のあるスペック”・・・余裕のあるトルクってことでしょうか。フリートラインの隣にいても似合うデザインで、肘をゆったりドアにかけてドライブできる抑揚のあるボディーライン。そしてエンジンフードが長く下半身のがっちりしたボリューム感。そんなことをイメージすると自然に対象が絞られます。1950年代の古典的なスポーツカーデザインです。自然に、カニ目にお湯をかけて大きくし、僕の体とバランスの取れたサイズのクルマを想像します。

もう、ビッグヒーリーしかないじゃないですか!(笑)

Austin Healey 100
Photo by SuperCarFreak

さあ、これからが難問。なかなか数が少なくていいのが見つからないんです。一時は友人でさくらモーニングクルーズでもお馴染みMさんのMG TF-1500とツーリングできるMG TDに日和かけたことがありました。これではコンセプトと相反する・・・。イカン!

Number 833 1953 MG TD driven by Paul Fitzgerald
Photo by Mark Wheeler

巡り合い
オースチン・ヒーリーで、それも100。人気車種のようで、あきらめ気味に何故かタマの豊富なMG TDで決めようと思っていたその矢先、クラシックカーミーティングに参加していたMさんから「ヒーリーの売り物がある!」との電話。善は急げと!紹介されたオーナーのTさんに電話。ガレージに出向き、即決で「預からせてください」返答は「よろしくお願いします」翌週末に伺い面倒な計算や交渉もなく、我が屋のガレージにやってきたのです。

1954 Austin Healey 100
いきなり雨天のドライブとなりました

僕がTさんから預かる気持になったのは、Tさんがこのクルマを手に入れたエピソードを聞いて。欲しくて、欲しくて堪らなかった100/4が雑誌に出たその瞬間、仕事をほおって大阪に飛び、手に入れた下りです。これだけ惚れこみ情熱を込めた車です。それを預かれるのですから幸せなことです。

世代を超えたプレゼント
クルマを預かって間もなくTさんから、リヤハッチの上に設えたキャリアに取り付ける皮革製トランクが送られてきました。トランクの小さな英国オープンスポーツカーでロングツーリングをする際の必須アイテムです。「御爺さんが渡航用に使っていた古い鞄を直して使っているんですよ」と仰っていたのを思い出しました。受話器の向こうから「いやー、車を預ける時に渡し忘れましてね・・・」と、にこやかな声が聞こえました。ヒーリー100の次に預かったのは、なんと!知る人ぞ知る横浜は『三洋堂』の渡航用トランクだったのです。
まだおまけがあります。鞄を開くと中から出てきたのは・・・!なんとヒーリー100と3000のダイキャストモデル。それにTさん自慢のFORD GT40のモデルです。「次はGT40を預けましょうか?」と、冗談とも受け取れない、眩むような悪魔の囁きつきでした(笑)。

gt40cockpit.jpg

その後、“ヒーリーを貴方に買って貰って本当によかった。どうぞ息子さんとヒーリーライフを楽しんでください”と記された葉書が届いたのです。
“追伸 ガレージが寂しくなりました・・・”
というくだりが、僕のカニ目を預けた寂しさと重なり、愛情を注いだクルマを信頼できる仲間内で“託す・託されるしみじみとした感情”は、郷愁に似た切なくて幸せな気持ちです。

つながっていることの重み
後で知ることになるのですが・・・。横浜『三洋堂』は、鞄袋もの販売会社として明治40年に創業されました。ワシントンとロンドン軍縮会議に挑む全権交渉団が日本の運命を背負い、『三洋堂』の渡航用品一式で身支度を整え、颯爽と海を渡ったそうです。因縁めいているのですが、僕が心底敬愛する郷土・長岡の偉人、山本五十六連合艦隊司令長官が海軍中将時代、ロンドン軍縮会議の予備交渉責任者として携えて行ったのも『三洋堂』製の鞄であったと想像するのが自然です。それをルーツとする鞄がTさんの祖父から受け継がれ、英国車ヒーリーと共に僕に託されたのです。かつて争った国のクルマが日本人に愛され、鞄の中身が国家最高機密の軍事書類から、おもちゃのダイキャストモデルに変ったけれど、時空を超えてクラフツマンシップを愛する志で繋がりました。平和な時代に生まれたからこそ活かされてきたデザイナーの端くれとして、改めて先人たちに深い感謝の思いを抱きました。

サヨナラカニメ
1960 Austin Healey Sprite Mk1

ハローヒーリー100
hellohealey100.jpg

このバトンタッチ劇は、僕の心にとても大きなものを残してくれました。あらためてクラシックカーと、それを大切に預かり、次の世代につなぐ心意気を持った仲間たちに大感謝です。

48の父


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ハローヒーリー100 (1/2)

2013年08月07日 08:00

サヨナラカニメのつづき

Austin Healey Sprite Mk1

その昔、英国車とりわけオースチンには、ほとんど興味がなかった。それなのにカニ目の虜になり、魅力に目覚めた遅咲きの英国車ファンのガレージに、オースチン・ヒーリー100/4がいる。若かったころから恋い焦がれていた獰猛なコブラではなく、とても品のいい(笑)ヒーリーです。

日常の和製欧州車
1959 NISSAN Austin A50

英国車に興味を持てなかった理由は、幼いころ日常にあったオースチン・ケンブリッジを、日産製の目立たないクルマだと思っていたからです。当時は日野がルノーを、いすゞがヒルマンをノックダウン生産しながら、敗戦の痛手で出遅れていたクルマづくりの勉強をしていた時代でした。国土が狭く資源の乏しいこの国の事情に合わせ(当時の日本人の体格も小さかった)みんなヨーロッパのクルマをお手本にしていました。
そう言えば、近所の内科医さんは濃いグリーンのルノーに乗って往診していました。お医者さんは小柄なのに、看護婦さんはとても立派な体格で、小さなルノーに乗りこむ白衣のお尻は、巨大な鏡モチのようで、無理して乗り込む姿は、子供ながらとても可笑しかったのを覚えています。この時代、何故かお医者さんはルノー。また『三丁目の夕日』に登場するお医者さんの宅間(悪魔)先生のように、富士重工のラビットスクーターが通り相場でした。そう言えば寺のお坊さんもラビットでしたね・・・。ラビットって人の生死に関わるポーターだった??まさかね(笑)

輝いていた戦勝国のクルマ
1957 CHEVROLET BelAir

この時代、一般社会人の憧れは豪華でデカイ戦勝国のアメ車でした。僕はどういう訳か英国を戦勝国と思っていなかった節があります。父親が縁あってシボレーのフリートラインとツーテン(Chevy 210)を所有していた話は以前書きました。苦もなく100キロで走れるのはアメ車しかなかったんです。最高速度が高性能のバロメーターであった単純な時代です。たまに上京すると、大手町界隈や銀座を走る車はほとんど、メタリック塗装とクロームメッキで飾りたてられた巨大なアメ車でした。

1957 TOYOPET CROWN

トヨタのフラッグシップカーとなるクラウンでさえ非力で、アメリカのハイウエーで助走車線から走行車線に移るのが至難の業だったようです。これは東宝映画『サラリーマン出世太閤記・完結編』(小林圭樹主演・1960年)の中でアトラス号(クラウン)をアメリカに売り込む物語の中で描かれています。興味のある人は是非DVDでご覧ください。まだまだ性能は劣るけれど、巨大なアメ車に負けず国産車も高速道路を走れるんだなぁー・・・と興奮して観たのが12歳の時でした。恐竜のようなクルマたちを生んだデトロイト市が、財政破綻するなど予想できなかったアメリカの目が眩むような黄金時代でした。

クルマの本質を垣間見た英国フォード車
Lotus Cortina Mk1
Photo by Alex Cleland

中学を卒業して東京に移り住み高校2年生なった頃(1964年・東京オリンピックの年)、クラスメートの兄貴自慢の英国フォードのコルチナ・ロータスの渋さにまいったことがあります。元祖・羊の皮を被った狼です。姿はアメ車の派手なスタイリングに比べて控えめだけど、十二分なエンジン出力と脚のしっかり感は僕の感覚を強く揺さぶりました。モーターボートのようなシボレーと、欧州車のノックダウンから始めたくせに、いつの間にかアメ車をお手本にした地に足のつかない国産車との違いをはっきり感じました。「英国車は渋い!通好みのクルマだ」と、小生意気に思ったものでした。硬軟併せ持ったスマートな大学生のクルマに乗っけてもらい、東京オリンピックに合わせて開通した首都高を羽田空港まで飛ばしたのを鮮明に覚えています。この年は、先輩デザイナーたちが頑張った当たり年で、国産のブルーバード410SSやベレットGTが発売されるなど、カーデザイナーへの憧れが、ますます強くなっていった頃でした。

オープン2座席はドリームカー
MG-A

最近まで預かっていたカニ目は1960年製、僕は1948年製ですから発売当時12歳、小学6年生の時に作られた車です。そのころカニ目なんてクルマは、新潟の田舎者では相当なマニアでなければ知らなかったと思うし、長岡に唯一あったオープン2座席はMG・A!大きな病院の経営者が乗っていて、その車と遭遇すること自体がラッキーでした。スポーツカーは「欲しい!」などと想像することさえはばかられる異次元のドリームカーでした。

勢いと流で買ったMERCEDES BENZ SLKで、ラクチンな早くて安全スポーティーカーライフを満喫し、その後、チャンスがあってカニ目に巡り合います。いい歳になって古いオープンスポーツカーの楽しさを学び、間をおいて20年来欲しくてたまらなかったCATERHAM SUPER 7に出合うことになります。バイクのデザインをしていて絶対速度よりのも悪魔のような加速性が大好きだった僕にとって、この上ない刺激物でした。でも、突出したスペックを持たないカニ目に、いつの間にか傾倒する自分がいました。このくだりは、「サヨナラカニメ」に書いてある「身の安全を担保できる範囲の美味しい走り」を大人になって分かった悦楽でした。

別れる決意
Austin Healey Sprite Mk1

カニ目を他の人に預けようと思ったきっかけは、ガレージに設えた鏡に映る自分の姿でした。カニ目のボディーから飛び出た自分が、ブリキの玩具にちょこんと据えられたプレス人形のようで、何ともバランスが悪く見えてしまったのです。(笑)。カニ目に乗るのは、英国のモータースポーツスピリットを何時までも忘れないヘリンボーンジャケットを着た偏屈な大学の老教授。乏しい資金でチューンアップしサーキットに挑む若者が似合う・・・などと、勝手に妄想していました。となると、操ることを積極的に楽しまないと、非力な愛らしいだけのオープンカーに成り下げてしまう。なんだかカニ目に申し訳ないような気分になったのでした。これが別れる決意です。要は、早く楽しく走るために忙しく操作をすることに疲れた。これが正直な気分でした。歳をとったのですね(苦笑)

Spark Plug

クルマ探しへ編へつづく

48の父


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