僕が生まれたのは
1948年。まだ、空き地や路地のあちこちに、戦争の痕跡が色濃く残る昭和23年だ。750万人という、とてつもなく多くの仲間を得たおかげで、僕らが起すベビーブーマーの行動は、結果的に時代のムーブメントを創り、やがて「団塊世代」と命名されることになった。僕はその真っただ中に生まれた。
アメリカがお手本日本が外車のノックダウンを通じて、車づくりを学んでいた少年時代。僕の家には、明治生まれでハイカラ趣味の親父が所有していた大型バイク「インディアン」と、
1948年製GMはシボレーのフリートラインがあった。時速100kmを楽々超える性能の凄さと装備の豪華さは、グラマラスなボディーデザインと相まって、圧倒的なアメリカの豊かさを見せつけていた。僕にデザインの興味を湧かせ、その後、バイクと車の両方を生産する「スズキ」という会社に入り、デザイナーとしてスタートするのに、十分過ぎる濃密な空気を送り込んでくれた。
マジックナンバー”48”やがて独立し、
「CREW」という会社をつくり、多くのプロダクトをデザインした。そんな僕が、車をデザイン対象物としての見ることを止め、自分の好き嫌いで楽しみ始めることができたのは、親父との思い出のクルマであった「フリートライン」を、
48歳で手に入れたのがきっかけだった。
1948 GM CHEVROLET FLEETLINEずいぶんと遅い車道楽のスタートだった。それ以来、僕にとって「
48」という数字は、特別な意味を持つマジックナンバーとなった。今では還暦を過ぎ、“いい歳”といわれる親父になっているが、まだ現役でデザインの仕事をしながら、
ガレージライフを楽しんでいる。
アメ車でクラシックカーの仲間たちと遊んでいるうちに、大好きだった英国のオープン2シ―タ―が、時をずらして2台嫁いできた。これがいけなかった。(苦笑)仕舞い込んでいたデザイナー魂が沸々と覚醒したのだ。もっともっとクルマ遊びを楽しむために、誰かのためのデザインではなく、自分が楽しみ、仲間も楽しませる。そのための“ものづくり”がしたくなった。デザインコンサルタントで正統派趣味の僕と、長年一緒に仕事をしてきたスピード好きのデザイナーY君。オーソドックスをチョイ崩したのがカッコいいという企画担当の Jr(ジュニア)の3人が、自作ガレージで実践しながらクルマ遊びをデザインする。それが
『48 PRODUCT』だ。
48PRODUCT 主宰 馬場 了
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