ガレージづくりはコンセプトが大切僕には息子が二人いて、その二人とも自動車整備士(一人はココにも登場する Jr)という珍しい家族だ。僕の親が新しい物好きで、戦後間もなく1948 Chevy FLEETLINEを所有していた影響から、僕自身がスズキでバイクと車のデザインをしたのだから、息子たちが整備士になっても何の違和感もない。たぶんクルマ好きの遺伝子があるのだろう。
床のステンシルにはフリートラインとカニ目のガレージである事をアピール。ケータハムも書き加えないと。だから!別に力む話ではないが、
僕のガレージは車と一緒に「住む」というコンセプト。息子のガレージは車を「いじる」というコンセプト。これはすんなり決まった。ここで大切なことは、自分の
ガレージライフのコンセプトを決める!ということが失敗しないガレージづくりだ。このおかげで僕は、所有する3台の車のうち、今見たい、触りたい車を、自宅ガレージに置く。というスタイルを楽しんでいる。
リビングのワークスペースとガラスで隔てたガレージ。ガレージのライティングはリビングからも調整可能。自宅ガレージ自宅ガレージは12畳(6坪)の狭い空間だ。もともとフリーのデザイナーだったころの事務所をそのまま改造した。ここではまだ子供が小さかった頃、ラジコンカーを親子3人で組み立てたり、プラモデルを創った場所だ。今度は本物の車を親子で楽しもうというわけだ。
父のフリートラインとCB72一番やってみたかったことは、よくあるアイデアだが、リビングから何時でも車を眺めていられるという設えで、はめ殺しのガラス越しに愛車が見えるようになっている。その他は、同好の士がどなたもやっているように、所有する車と同じミニカーをはじめ、車関係のグッズが並べている。ガレージのシンボルは、親父が所有していた当時のフリートラインと1955 Chevy 210の写真。それに僕がやんちゃをしていた頃またがっていた、ホンダCB72のスナップ写真だ。この思い出はなかなかで、いつか報告したいと思う。
昭和38年 世田谷モータース!?このガレージ内装はすべて自分一人で手掛けた。OFCCの仲間で建築家から渡されたガレージは、壁と天井は総べニア張り、床はコンクリート打ちっぱなし、「さあ、あとは好きなように」と言うわけだ。これをどう料理するか!コンセプトが大切だと言ったが、僕が高校生の頃住んでいた世田谷の小さな整備工場をイメージモデルにした。今でいえば人気の世田谷ベースだろうか!?
チープな素材も手を加えて経年変化を楽しめるように。それこそが贅沢!時は、昭和38年頃。ところは、世田谷区の上北沢2丁目。戦後すぐに建てられた住宅の前が土間風の工場。東京オリンピックの1年前、まだこの国が様変わりする以前、こんな風景がよく見られたものだ。ちなみに、有名な世田谷ベースのご主人が埼玉でミニカー遊びをしていたころだろう(笑)。
ガレージのオーナーは、口数が少なく無愛想だが、めっぽう腕のいい整備屋で、来週の船橋サーキットで、宿敵のエランに一泡吹かせるために、キャブのセッティングに余念がない・・・。こんな風景を再現してみたいと思っていた。とりあえず、ここに収めるのは、Austin Healey Sprite Mk1がいい。どうだろう、フェラーリやポルシェがなくても、贅沢な装備がなくても、国産車が主人公でも、自分が心を寄せることができる仮想のイメージさえ浮かべることができれば、きっと素敵な
ガレージライフを始めることができるはずだ。・・・と信じて始めたのだが・・・。
48の父 馬場 了
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