2018年04月25日 08:00
衣笠さんが活躍した当時、小学生だった巨人ファンの私にとって広島東洋カープは嫌なライバルチームでした。個人的には神宮球場での観戦時に高橋慶彦選手の打ったファールボールが私の左横腹に直撃したことあったりと因縁のあるチーム(笑)巨人ファンがほとんどの地域で育ちましたが、不思議と衣笠選手のことを悪く言う人には出会ったことがありません。
引退してからも野球解説者としての顔はもちろん、音楽好きでも知られていました。私もラジオ番組を何度か拝聴したこともあります。JAZZにとても造詣が深いイメージでしたが、実は最近のロックなども詳しく、今衣笠選手がバッターボックスに入る際に流れる曲を選ぶなら?の問いに「GREENDAY」※を選ぶ幅の広さに驚いた事があります。
※ GREEN DAY(グリーンデイ)はアメリカの3ピースパンクロックバンド

それ以外にもこんなエピソードも。真意の程はわかりませんが。
「野球選手になったら、でかい家を買って綺麗な女と結婚する」と夢見ていた衣笠少年は、入団時の契約金で自動車免許を取り、フルサイズのアメリカ車フォード・ギャラクシーを購入した。当時のカープは創立十数年の貧乏球団であり、長谷川良平監督やコーチ・主力選手が乗っているのは大半がマツダ車で、中には自転車通勤の者も珍しくなかった。そんなチーム状況を横目に気ままにアメリカ車を乗り回していたが、何度となく事故を起こし、最終的には免許を剥奪された。
Wikipediaより
入団が1965年なのでこの1964年式のギャラクシーだったのかな。マスタングでも凄いのに、ポニーカーではなく、フルサイズの2ドア選ぶなんてクールな漢だったんですね。このイメージは全くありませんでした。
でっかく優しい笑顔が今でも印象に残っています。心からご冥福をお祈りいたします。
Jr

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