ハローヒーリー100 (1/2)

2013年08月07日 08:00

サヨナラカニメのつづき

Austin Healey Sprite Mk1

その昔、英国車とりわけオースチンには、ほとんど興味がなかった。それなのにカニ目の虜になり、魅力に目覚めた遅咲きの英国車ファンのガレージに、オースチン・ヒーリー100/4がいる。若かったころから恋い焦がれていた獰猛なコブラではなく、とても品のいい(笑)ヒーリーです。

日常の和製欧州車
1959 NISSAN Austin A50

英国車に興味を持てなかった理由は、幼いころ日常にあったオースチン・ケンブリッジを、日産製の目立たないクルマだと思っていたからです。当時は日野がルノーを、いすゞがヒルマンをノックダウン生産しながら、敗戦の痛手で出遅れていたクルマづくりの勉強をしていた時代でした。国土が狭く資源の乏しいこの国の事情に合わせ(当時の日本人の体格も小さかった)みんなヨーロッパのクルマをお手本にしていました。
そう言えば、近所の内科医さんは濃いグリーンのルノーに乗って往診していました。お医者さんは小柄なのに、看護婦さんはとても立派な体格で、小さなルノーに乗りこむ白衣のお尻は、巨大な鏡モチのようで、無理して乗り込む姿は、子供ながらとても可笑しかったのを覚えています。この時代、何故かお医者さんはルノー。また『三丁目の夕日』に登場するお医者さんの宅間(悪魔)先生のように、富士重工のラビットスクーターが通り相場でした。そう言えば寺のお坊さんもラビットでしたね・・・。ラビットって人の生死に関わるポーターだった??まさかね(笑)

輝いていた戦勝国のクルマ
1957 CHEVROLET BelAir

この時代、一般社会人の憧れは豪華でデカイ戦勝国のアメ車でした。僕はどういう訳か英国を戦勝国と思っていなかった節があります。父親が縁あってシボレーのフリートラインとツーテン(Chevy 210)を所有していた話は以前書きました。苦もなく100キロで走れるのはアメ車しかなかったんです。最高速度が高性能のバロメーターであった単純な時代です。たまに上京すると、大手町界隈や銀座を走る車はほとんど、メタリック塗装とクロームメッキで飾りたてられた巨大なアメ車でした。

1957 TOYOPET CROWN

トヨタのフラッグシップカーとなるクラウンでさえ非力で、アメリカのハイウエーで助走車線から走行車線に移るのが至難の業だったようです。これは東宝映画『サラリーマン出世太閤記・完結編』(小林圭樹主演・1960年)の中でアトラス号(クラウン)をアメリカに売り込む物語の中で描かれています。興味のある人は是非DVDでご覧ください。まだまだ性能は劣るけれど、巨大なアメ車に負けず国産車も高速道路を走れるんだなぁー・・・と興奮して観たのが12歳の時でした。恐竜のようなクルマたちを生んだデトロイト市が、財政破綻するなど予想できなかったアメリカの目が眩むような黄金時代でした。

クルマの本質を垣間見た英国フォード車
Lotus Cortina Mk1
Photo by Alex Cleland

中学を卒業して東京に移り住み高校2年生なった頃(1964年・東京オリンピックの年)、クラスメートの兄貴自慢の英国フォードのコルチナ・ロータスの渋さにまいったことがあります。元祖・羊の皮を被った狼です。姿はアメ車の派手なスタイリングに比べて控えめだけど、十二分なエンジン出力と脚のしっかり感は僕の感覚を強く揺さぶりました。モーターボートのようなシボレーと、欧州車のノックダウンから始めたくせに、いつの間にかアメ車をお手本にした地に足のつかない国産車との違いをはっきり感じました。「英国車は渋い!通好みのクルマだ」と、小生意気に思ったものでした。硬軟併せ持ったスマートな大学生のクルマに乗っけてもらい、東京オリンピックに合わせて開通した首都高を羽田空港まで飛ばしたのを鮮明に覚えています。この年は、先輩デザイナーたちが頑張った当たり年で、国産のブルーバード410SSやベレットGTが発売されるなど、カーデザイナーへの憧れが、ますます強くなっていった頃でした。

オープン2座席はドリームカー
MG-A

最近まで預かっていたカニ目は1960年製、僕は1948年製ですから発売当時12歳、小学6年生の時に作られた車です。そのころカニ目なんてクルマは、新潟の田舎者では相当なマニアでなければ知らなかったと思うし、長岡に唯一あったオープン2座席はMG・A!大きな病院の経営者が乗っていて、その車と遭遇すること自体がラッキーでした。スポーツカーは「欲しい!」などと想像することさえはばかられる異次元のドリームカーでした。

勢いと流で買ったMERCEDES BENZ SLKで、ラクチンな早くて安全スポーティーカーライフを満喫し、その後、チャンスがあってカニ目に巡り合います。いい歳になって古いオープンスポーツカーの楽しさを学び、間をおいて20年来欲しくてたまらなかったCATERHAM SUPER 7に出合うことになります。バイクのデザインをしていて絶対速度よりのも悪魔のような加速性が大好きだった僕にとって、この上ない刺激物でした。でも、突出したスペックを持たないカニ目に、いつの間にか傾倒する自分がいました。このくだりは、「サヨナラカニメ」に書いてある「身の安全を担保できる範囲の美味しい走り」を大人になって分かった悦楽でした。

別れる決意
Austin Healey Sprite Mk1

カニ目を他の人に預けようと思ったきっかけは、ガレージに設えた鏡に映る自分の姿でした。カニ目のボディーから飛び出た自分が、ブリキの玩具にちょこんと据えられたプレス人形のようで、何ともバランスが悪く見えてしまったのです。(笑)。カニ目に乗るのは、英国のモータースポーツスピリットを何時までも忘れないヘリンボーンジャケットを着た偏屈な大学の老教授。乏しい資金でチューンアップしサーキットに挑む若者が似合う・・・などと、勝手に妄想していました。となると、操ることを積極的に楽しまないと、非力な愛らしいだけのオープンカーに成り下げてしまう。なんだかカニ目に申し訳ないような気分になったのでした。これが別れる決意です。要は、早く楽しく走るために忙しく操作をすることに疲れた。これが正直な気分でした。歳をとったのですね(苦笑)

Spark Plug

クルマ探しへ編へつづく

48の父


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